初音ミクの唸り

飽きたらやめます

2022年8月11日

 22時に退勤した。翌日12時には瀬戸大橋を渡っていた。四国を目指して進む列車に居た。松山は変わらず静かな街で、コンビニで買った酒を包むビニール袋が一番煩い。暑い。松山城には子供が青の大地を、空をかける。苦しい。

 宿泊先はさっき見つけた。1泊1万7千円。荷物を置き、道後温泉へ徒歩で向かう。知る街並みに目を奪われ、行き交う車が私をめがけて突進してきた。あいにく命を落とした。

 道後温泉は休館していた。付属の館は2時間待ちのようで諦めた。道端の占い師に声をかけた。適当なことを言うヤツだった。

 あくるひ、瀬戸大橋に。車では行けない島、与島へ向かった。立派なエレベーターを下ると現代から隔離された、枯れた町が広がる。海に着いた。ものの数分で瀬戸内海が広がっていた。ジャブジャブと心を洗うと、自分は透明になり戸籍もなくなった。ああ、終わったのだ。夜に割烹に入店した。

 東京へ帰る新幹線に居た。明日も上司に怒鳴られるために。

轟音

 京王線百草園駅でドアが開く。丘陵の青がかぐわい、日差しを避けるようにシェードへ逃げる。登山服の待ち人を横目に階段を上がり改札を抜ける。右の階段を降ると見慣れた夏があり、私はままだ24歳であった。みずみずしく、余白の多さを故郷にしていた。川縁のベンチに座ると、行き交う営みの光が川に反射している。

 気付くと夜の多摩川京王線の稲妻が轟音をたて走っていた。ここが今の居場所ではないと、目眩の中、幾度も言い聞かせ乗る特急新宿行に

熱(2021/8)

中目黒の坂を目線も定まらないまま下る。歩道橋、横断歩道、信号は無視した。只管酒を煽る。右手に持つ傘は折れ曲がっていた。力のままに、行き場を失った何かが傘を壊した。時折、道端に腰掛け上を見た。気付くと出来たばかりの駅にいた。新幹線で泣き叫び、歌い、意識の狭間でどうしようもなくなった頃新潟に着いた。翌る日、曇天の新潟は私を嗤った。それでもここが好きだった

高校生わたしと

先頭車両のボックス席。生に反射する高校時代の私が物憂げに見つめた先、窓辺に屹立した缶酒越しに日焼けしたホームが遠くなります。二、三のトンネルを抜けた先は末広がりの樹木、枝裾から屋根が見え、移ろう斜線の景色を過ぎたら海原でした。束の間、線路は大きく右に逸れて海に穴が開き、それに列車は吸い込まれました。ぐにゃぐにゃとした空間を抜けると品川駅に着いており、見慣れた月曜を瞼に映しました。目を開くな。きっとまだ国府津駅です